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【パリ通信】Vo11

[更新日] 2017年1月17日

パリ通信
早世の画家フレデリック・バジールの展覧会 1・12・2017
 昨年開館30周年を迎えたパリのオルセー美術館では、記念行事の流れで現在、印象派の画家、フレデリック・バジールの作品と生涯を、同時代のドラクロワやマネ、モネ、ルノワールらの作品とともに振り返る「フレデリック・バジール(1841-1870)、印象派の揺籃期」展(3月5日まで)が開催されています。
 28歳という若さで亡くなったバジールは、同じ年齢で他界した日本人画家、青木繁とは生い立ちも送った人生も違いますが、早世の天才画家だったことに間違いないでしょう。当初、バジールは絵画と共に医学の勉強もしていましたが、パリでルノアールやシスレーと出会い、印象派の洗礼を受けました。
 モネ、シスレー、マネは生涯の親友だったわけですが、南仏の裕福な家に育ったバジールは、生活には苦労しなかったようで、他の貧乏絵描きを経済的に助けたとも言われています。彼は1870年に普仏戦争で出兵し、28歳の若さで戦死し、この世を去りました。
 短い人生でしたが、有名な作品「家族の集い」を初め、名作を残しただけでなく、貧乏で未だ世に認められていなかったモネなど印象派の画家たちを支援し、フランスが産んだ巨匠たちの誕生に一役買った人物としても記憶されています。
 ロマン派の巨匠、ドラクロワに触発されて絵描きをめざしたバジールは、第二帝政の自由な空気を吸って育ち、伝統的絵画を踏まえながらも、独創的で新しい様式に挑戦した画家でした。オルセー美術館では昨年、第二帝政をテーマにした30周年記念の企画展が行われ、当時のフランスの空気を伝える意味のある展覧会でした。
 南仏の輝く陽光のもとで育ちながら、陰影の中の繊細な色彩をも描き出し、鋭い感性と独自の技法で名作を残しました。友人のモネは、「非常に恵まれた才能と、あらゆる条件を満たした画家だ」と賞賛したほどでした。
 印象派の感覚的筆遣いから、晩年のアガデミスムへの回帰は、短い画家人生で幅広い画風が見受けられます。作品には生き生きとした光が散りばめられているだけでなく、繊細さと緻密に計算された伝統的技法を垣間見ることもできます。セザンヌやピサロなど印象派の牽引役だった巨匠たちとの知遇を得て、作品は豊かさを増していったと言えます。
 戦争で戦死することがなければ、どれだけ多くの名作を産み出したことだろうかと思わせる画家でした。ルノアールを初め、多くの画家がバジールのアトリエを訪れ、時には共に描くこともあったとされ、バジールの死は他の印象派の画家らに多大な衝撃を与えました。
 本展は、モンペリエのファーブル美術館を皮切りに巡回が始まり、オルセー美術館とワシントン・ナショナル・ギャラリーとの共同企画により実現しました。

絵解き
パリのオルセー美術館正面入口
「家族の集い」 フレデリック・バジール 1867年頃

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